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【第4話】 下のものは上のもののごとく、上のものは下のもののごとし

2012年01月31日  / カテゴリー:  ステイ。

坂から続く大階段を上りながら、大草は車の中で水田と交わした会話を思い出していた。
「店の壁の押し花、変わった花を飾っているんだな」
唐突に投げつけられた水田の言葉を反芻する。

水田は店の壁に飾っていた額と古い和紙を背景に飾られた押し花のことを言っているようだと思いあたる。
「ああ、常連さんがもってきてくれたんだ。野草の押し花作るのが趣味なんだってよ」
茶色がかった紙に張られた、菊に似た紫色の可憐な花を思い出しながら俺は答えた。

よろよろと額を抱えてきた常連客が穏やかに言っていた花の名前は、確か。
「『都忘れ』って名前だったか」
俺が口にした花の名前に思うところがあったのか、水田は一言だけ小さく言った。
「そうだな」
それ以降しばらく水田は何も言わなかったので、花好きの常連客の言葉を思い出していた。

都忘れ。日本原産の、菊に似た紫色の可憐な花。

承久の乱に敗れて遠流となった順徳帝が、都の天皇家の菊紋、天皇家の色の紫を彷彿させるこの花を見つけて「都を忘れよう」と言った花。

花言葉『「しばしの憩い』

そして、『別れ』
一種の現実逃避をしながら階段を上り続けていた俺は、目の前に迫った扉にスタートラインに立ったことに気づいた。

手すりに手をかける。

力を込めて、厚い木扉を押し開けた。

屋内に入り、目を凝らす。暗い屋外にいたので目は慣れていた。

暗い室内をうっすらと照らす蝋燭の火。

浮かび上がるように揺れる焔の中、小さな人影がたたずんでいた。

扉から手をそっと放した。

キィ、という細くひくような音にしまったと思った瞬間、そいつはゆっくり振りかえった。

右手に抱えられた杖の金属部分が光を一瞬反射した。

ことさらゆっくりな動きに見えたのは、気のせいだったのだろうか。

記憶の中でどこか焦点が合わない瞳は、鮮やかなほどはっきりと目を合わせてきた。

顔を見た瞬間、殴ってやるつもりだった。

けれど、俺は一瞬息がつまりただ立ち尽くすことしかできなかった。

合わせた瞳もやわらかくあいつは花笑んだ。
「ひさしぶり、トモちゃん」
白いワンピースの裾をひらめかせて、そぅっと一歩を踏み出してきた。

磨かれた教会の床に、体重がかかった杖の先が滑ったのが見える。

そいつは軽い体を床に投げ出していた。

大きな音が壁を伝って反射し、呆けていた俺はそいつの目の前まで歩いていく。

起き上がるのを待った。

そいつは教会椅子の背もたれにつかまり、足元を確かめるようにゆっくり立ち上がった。

少し黙って俺を見つめると、ゆっくりと左手を差し出して俺の頬に添えて口を開く。
「ちゃんと食事している?お酒ばかりじゃ、だめだよ」
スローモーションで進んでいた世界が、加速したような気がした。

それが、あいつ ―――― 蔵葉都の第一声だった。

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水田は腕を伸ばして広がる本様のものを引き寄せる。

フロントガラスから煌々と入る明かりにかざしてみると、それはプラスチックの表紙のノートだった。

閉じようとしたときに目に入ってしまった文章に、思わず手を止めた。

悪いとは思いつつも、目が文章を追っていく。

■2002年8月9日 晴れ

祭で都とはぐれた。

あわてて探したら的屋の男にもらったたこ焼き食ってた。

ガキの頃からそうだ。あいつは気づくといつの間にか消えている。

一緒に遊んでいたはずなのにいつの間にかいなくなってあわてて探すと、一人で昆虫とりに夢中になってて俺のことなんか忘れてた。

それがショックで俺が泣くと困ったように慰めるくせに、

「ほら、カブトムシあげるよ」

なんて虫をいきなり手に乗せるから俺は大泣きだ。

ちくしょう、思い出すだけで腹が立つ。

■2002年10月02日 曇り

ガルフストリームを作る。

都はレインボーが飲みたいとほざいた。

■2002年11月15日 曇り

七五三のガキの群れをみる。

都が覚えているかと聞くので思い出してしまった。

あのとき、みんなに囲まれてかわいいっていわれて澄ましている都が嫌だった。

いつもは泥だらけで食い意地張ってて汚ねぇんだぞ。

ムカついた俺は、都の髪飾りをむしり取って逃げた。

鈴がついた赤い紐飾り。

母ちゃんに怒鳴られて返しにいっても都は家から出てこなかった。

水田はさらに居心地の悪さを感じながらページを繰る。

■2002年12月9日 晴れ

講義全て終わる。バイトを増やす。

■2002年12月21日

クリスマス・カクテルを作る。

大晦日までにXYZを作れるようになれと都が言った。

それは、大草の日記だった。

日記というよりはメモに近かったが、大草がこんなこまめなことをするとは意外だった。

随所に見えるのは、酒と都のことばかりだ。

二人は乳母車に乗っていたころからの幼馴染だと、都は言っていた。

長い間都とは付き合っているが、大草から見た都は私が知らない顔をしている。

それは新鮮な驚きでもあった。

思わず左の坂上の教会を見上げたとき、視界の端に何かが光るのが見えた。

正面の坂上のほうからチラチラと瞬く小さな光がひとつ、右に左に揺れながらこちらにむかってきた。

自転車だろうか。

その光は時期はずれのホタルのようにフラフラと漂ってきたかと思うと、車体の鼻の先で大きな音を立てて止まった。

金属とアスファルトがぶつかる大きな音と悲鳴。

大きな石にでも足を取られたのだろうか。

自転車で転んだらしき人影はそのばにうずくまったまま起き上がらなかった。

この大事な時に、と思ったが放っておくわけにもいかずとりあえず窓ガラスをあけて声をかける。

「だいじょうぶですか」

「ぅ……ちょっと苦しくて……大丈夫です」

ヘッドライトをつけてみると、自転車とともにアスファルトに横たわる人影が浮かんだ。

やっと目が慣れてくると、人影は苦しいのか肩で息をしている。

離れているのに聞こえるヒューヒューという呼吸の音。

近くに石などが落ちている形跡はない。

呼吸の苦しさに絶えかねて倒れた、というところだろうかと水田は推察した。

ますます放っておくわけにいかず、水田は道の前後を確認して運転席のドアを開けて駆け寄る。
「大丈夫には見えませんよ。今救急車を呼びますから」
頭や心臓に問題があった場合、体を動かすのは危険だ。

水田は傍らにしゃがみ、声をかけながら左手でポケットから携帯電話を取り出す。
「だ、大丈夫です。吸入をすれば収まりますから……」
倒れ伏した人影は、汗ばんだ手で水田の携帯電話を持った腕をつかんだ。

右手で水田の腕にしがみついたまま、左手で自転車から転がり落ちた革鞄のポケットを探っていた。

ビニール製の袋に入っていた吸入器を引き出すと、口にあてがい軽く上を向き霧状の薬を吸い込む。

後ろに倒れそうになりながらも必死に吸い込んでいるので、水田は背中を支えて抱き起こしていた。

吸い込んだ薬を逃すまいと胸を押さえて体をまるめ、ヒューヒューと気管を鳴らして息を整えている。

しがみついている腕がカタカタと震えていた。

せわしない心臓の音が流れ込んでくる。

呼吸とともに揺れる金髪。

日本人の規格より大きな体躯を曲げてしがみついて目を閉じている青年は、少しして落ち着いたのか顔のこわばりを解き目をあけた。

海を思わせる碧眼は穏やかだった。

肩口にもたれた頭の揺れがとまり規則正しくなった呼吸に、とりあえず落ち着いたようだと水田は安心した。

何かできることはないかと口を開いた瞬間、青年のほうから話しかけてきた。
「Thank you. I’m all right now. ……もうだいじょうぶです」
どうやら日本語を話せるようだ。

いくら大丈夫だといわれても、このまま放っておくわけにもいかず水田は声をかけた。
「よろしければ病院かお住まいまでお送りしますよ」
青年は青い瞳を柔らかく笑ませて、額に張り付いた髪を左手でよせながら身じろいだ。
「いえ、本当に、大丈夫です。家もすぐ近くですから。桜でも眺めていればすぐにつくいてしまう距離なんです」
青年は鞄を拾いあげ体に積もった花びらを払い、フラフラと自転車を立ち上げまたがった。
「ありがとう、助かりました。May God bless you.」
はんなりと笑うと、青年はペダルを漕ぎ出した。

タイヤのフレームが曲がったのか、金属がこすれる耳障りな音を軋ませながら進んでいく。

この日に、こんなに変わったことが起きるのは初めてかも知れない。

予想外の花人との遭遇にペースが思考が持っていかれていた水田は、ふっと一息つき道路に視線を戻す。

ヘッドライトの形に切り取られた地面には、一冊の本が落ちているのが目に入った。

それは大草が持っていた日記帳と同じ装丁だった。

車を出た時にあわてて持ち出したのだろうかと考えながら本に手を伸ばして、上着の袖に違和感を感じた。

何か袖に入ったのかと、手首のあたりの裾を広げて中を覗き込むと紙切れが挟まっているのが見える。

水田はカサカサと音を立てて紙を引っ張り出した。

紙切れには、上から塗りつぶされた横つづりのアラビア語の様な文字に続いて日本語と英語がつづられていた。
「凛々しき花守へ ―― 下のものは上のもののごとく、上のものは下のもののごとし」
最後に英語で一文がしたためてある。
「May God bless you. 2007.04.07」
神があなたに恵みを垂れたまわんことを。

思わず坂の下に視線を上げると、既に人影はなかった。

それはまるで花時の戯れ、春の夢のようで。

 

【 第4話/終 】

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